うえまち貸自転車で大阪見学体験記その3
皆さんこんにちは!うえまち貸自転車スタッフの小田切です。今年の大河ドラマは新撰組って事で、新選組の大阪ゆかりの地(史跡)をレンタルサイクルでまわってきました。新選組の史跡といえば京都ばっかりかなぁと思ってたんですけど、結構ゆかりの地ありました。今年はどうぞここを観光してください。
実施日データー
平成16年1月4日(日)
基本的に曇、時々晴れ、比較的温かった。
新撰組、幕末に関する簡単な資料、それと大阪市内の地図をもって店を出発。。。。
市内各地に広がっているんでどこから行こうかなと考えながら先ずは谷町筋を南へ。
谷町筋や松屋町筋には新選組ゆかりの道場とかが結構あったんですよね。でも今や谷町筋にはその名残なんか全くないんです。単なる整備されてて走りやすい道路です。
で、到着したのが一心寺。
ここには戊辰戦争で戦死した会津藩士の墓地があります。門をくぐって左側にいくつか並んでいましたが、お墓を写真に撮る勇気がなかったので表にある石碑を撮影。また、鳥羽伏見の戦いの戦死者のお墓もあります。(当然これも写真なし)
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やっぱりお墓の写真撮るのは怖い。なんか写ってたらどうするんですか店長!
今度は松屋町筋を北上します。松屋町筋には石碑とかが残ってるんで楽しいです。
先ずは口縄坂。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」には出てきます。
ちなみに司馬遼太郎は私の高校の先輩です。(それがどうしてんって感じですが)
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そのまま松屋町筋を北上するとお寺が並んでいる下寺町。そのお寺の中のひとつに新選組大阪屯所だった萬福寺があります。
現在建っている建物は昭和40年代に建て替えられたものなので、その当時を彷彿させるものは何も残ってないそうです。
火災も恐ろしいです。火の用心。
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萬福寺の前に自転車を止めて少し歩きます。
もう少し北側の源聖寺坂を登って少し南へ(ちょうど萬福寺の裏ぐらい)行くと大寶寺。ここも新選組が大阪にいるときに宿にしていたところです。
本堂があるのですが、そちら側の入り口の正面に車が止まっており、撮影できなかったのが残念。悔やまれます。
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大寶寺の前の道を今度は北上すると、ラブホテルを抜けたところに生国魂神社があります。
その前に、(昔は池だったが、今は公園になっている)水戸浪士川崎孫四郎が自刃したという石碑が建っています。
川崎孫四郎は井伊直弼を桜田門外の変で暗殺した後、この地で自刃したそうです。
でも今は公園です・・・・。
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さぁ、自転車に戻ってサイクリングしよう!
松屋町筋をまだまだ北上します。すると左手に見えてくるのが有名な「ぜんざいや事件」の石碑。
谷三十郎がぜんざいや石蔵屋を襲撃し土佐脱藩の大利鼎吉を惨殺した場所です。
石碑はありますけど、今はカーペット屋さんになってます。
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なんでこの写真暗いねん?なんか設定いじったんでしょうか?
デジカメ奥深し・・・・。
で、ここは大坂西町奉行所跡、これも松屋町筋沿いにあります。
新選組が捕縛した儒者藤井藍田を引き渡したところがここです。
もうちょっと東に行くと、大坂東町奉行所跡もあります。写真も撮りましたが、スペースの関係で割愛します。
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今度はちゃんと撮影できました。
先ほどの大坂東町奉行所からすぐのところに京屋跡。
この場所に新選組の大坂での定宿「京屋」がありました。
現在はどっからどう見ても松坂屋・・・・。
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その京屋のすぐそばにも石碑がありました。八軒家の船着場の跡です。
鳥羽伏見の戦いの後、ここへ辿り着き休息をとっていたのです。
それに便乗してそろそろ休憩しようかなぁって考えてました。
でもこの石碑が建っているのは昆布屋さん。さすがに昆布で休憩するのには抵抗を感じる20代の男は更に進みました。
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進んだって言うても3分ほどです。
天神橋には色々なエピソードがあります。
文久3年には尽忠報国の浪士を語り金策をした石塚岩雄を橋の上で斬刑にして梟首。
元治元年には大坂西町奉行与力、内山彦次郎を橋の上で惨殺しました。
そんな橋の横(撮影した場所)にはカワイイ鳥(何鳥かは不明)がいて、癒やされながら休憩をとりました。
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せっかく天保山まで来たんやから、登山も楽しんで帰ろう。
って事で日本で一番低い天保山(標高4.53メートル)の山頂で記念撮影。
うーん。日本一は気持ちいい。
近所の喫茶店で登頂証明書(10円)を発行してもらうとシリアルナンバーがついていた。
今年6388人目の登頂成功者らしい。。。
ファンタスティック \(◎o◎)/!
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天神橋の南西には、平野屋、天王寺屋、加賀屋、鴻池など、大坂の豪商達が集まっており、近藤勇らの資金源となっていたのです。
当然ながら立派なお屋敷があったのでしょうが、当然跡形もなく、石碑が残っています。
写真は天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛のお屋敷が向かい合っていたところにある石碑。五兵衛と五兵衛で十兵衛横町と言うそうです・・・。
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そこから北新地に向かいます。
キレイなお姉さんには目もくれず、蜆橋へ。堂島川と蜆側の合流する地点にかかっていたのが蜆橋で、現在川は埋立てられ道路になっています。この橋の上で飲みに来た芹沢鴨らが大坂力士を殴打。
その後住吉楼で楽しんでいるところに力士が仇討ちにやってきて大乱闘になったという・・・。
なんちゅう話や・・・。と思いながら目はお姉さんを・・・。
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蜆橋を出た後は西区新町へ。ここには芹沢鴨がご贔屓にしていた妓楼「吉田屋」があります。しかしながらこの芹沢って奴は結構お好きですねぇ。。。。
そこからもうちょっと行くと藤井藍田を捕まえた私塾「玉生堂」のあたりです。
「吉田屋」も「玉生堂」も何の名残もないので写真なしで通過のみで帰路へ。
ここからは10分ほどで店に戻れます。全行程ゆっくり走って4時間強ほどのコースでした。今回初めて新選組コースを走ってみましたが、なかなか面白かったです。ただ、現存しているものが少ないのがちょっと残念でした。
このコースは一つ一つが小さくてわかり難いかもしれません。5名以上の団体様ならご案内できますので気軽に声をかけてください。事前予約でお願いします。
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