谷町7丁目の交差点から谷町筋をすこし南に下ったところの路地の奥に、
元禄時代に一世を風靡した劇作家、近松門左衛門の墓があんねん。路地の奥っていうか、ほんまは変電所の隙間やねん。
近松門左衛門って言うたら「曽根崎心中」なんかの
人形浄瑠璃の名作の作者として名を上げて、日本のシェイクスピアって呼ばれてるねん。
近松の作品は義理人情と人間的苦悩を描いた「世話物」ってのがよく知られとって、今も多くの人々に親しまれてんねん。
そやけど、近松自身の生涯についてはほとんど知られてなくて、今もなお不明なことが多いねん。
生まれたところについても各地様々な説があるし、死亡につても色々な説があるねん。
実は近松の墓も二つあるねん。ひとつはここ。もうひとつは尼崎の広済寺。
墓にも諸説があって、「広済寺に埋葬された後ここに分骨された」っていう説と、
「広済寺に埋葬されたけど、墓参りに不便やから、ここににそっくりの供養塔を建てた」という説があるねん。
どっちの説が正しいかはわからへんけど、そんなんかんがえながらここを訪れてみたら、歴史の面白さを感じるかもしれへんで。 |