織田作之助の墓
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大阪をこよなく愛し、大阪を描いた作家、織田作之助。
坂口安吾・太宰治等とともに戦後のデカダンス文学の代表作家と
いわれた織田作之助は、大正9年に天王寺区生玉前町で生まれてん。
地元の学校を卒業した彼の作品には、彼の生まれ育った地元を舞台にしているものがぎょうさんあるねん。
オダサクは幼少時代は、現在の生魂小学校の正門の向かいあたりに住んでてん。
現在は道路幅も広くなって面影はあれへんけど、、
当時はここに日の丸湯という銭湯があって、その横の日の丸路地に住んどってん。
織田作之助が原作・脚本を手がけた映画「還ってきた男」では、上汐、生玉、夕陽丘、高津などが舞台となってるねん。
オダサクの墓も当然上町台地にあって、墓の裏にはオダサクの最後の言葉が書いてあるねん。
「ロマンを発見した」めっちゃカッコええわ。

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