井原西鶴の墓
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上本町5丁目の交差点からすこし北に上がったところの
誓願寺の山門の門前に、井原西鶴は眠ってんねん。井原西鶴(本名 平山藤五)は寛永19年に大阪で生まれてんけど、近松門左衛門、松尾芭蕉と並んで、元禄文化の花を咲かせた大阪を代表する作家や言うことは有名やんね。結構裕福な家に育った西鶴は15歳から俳諧を志しとってん。当時、俳諧は貴族階級との社交手段として必須のものやったからやねん。そやけど青年期には遊びまくっとって、父親に勘当され、遊里の太鼓もちまでしてたらしいねん。まぁ、その時の経験が西鶴の作品の持ち味となって現れて、元禄の町人や武士の実生活を上手く捉え、人々の心をつかむことが出来たんやけどね。ほんで、初めての小説「好色一代男」は発売当初より売れに売れ、西鶴を浮世草子作家として世に知らしめてん。元禄六年に「浮世の 月見すごしにけり 末二年」て言う辞世の句を残してこの世を去って以来、西鶴の墓は長い間不明やってんけど、明治20年ごろに誓願寺の無縁墓から幸田露伴が発見して、再興されて今に至るねん。

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