地蔵坂
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生国魂さんから四天王寺さんまでの間にある坂道は"天王寺七坂"と
呼ばれて有名やけど、生国魂より北側の坂道はあまり紹介されることがあれへん。
そやけど、千日前より北へ二本目の「地蔵坂」の名前の由来には面白いエピソードがあんねん。
むかし、相模国っていうところに千代ていう下女がおったらしいねん。
その千代は毎日お地蔵様に「私をお守ってください」言うて拝んでてん。
ある日、千代が、あらぬ疑いをかけられてお地蔵様の前で折檻にあい、
焼けた火箸を頬に押し付けられてん。ほんなら、お地蔵様から煙があがって
頬に焼跡がつき、千代は何一つ傷を負えへんかってん。
それ以来、このお地蔵様を手厚く祭るようになって、
お地蔵様を頬焼地蔵と呼んでお参りの人が絶えなくなった。そんな伝説があるねん。
後に、ある高僧の夢のお告げによって、そのお地蔵様を大坂の専修院に移してん。
ほんなら頬焼け地蔵の話は多くの大阪の人にも伝わって、お寺の前の坂道は地蔵坂と呼ばれるようになってん。
伝説のお地蔵様は木造やったから、戦争で焼けてしまってもうあれへんねんけど、伝説だけは語りつがれてるねん。
一応、専修院の前には「頬焼け地蔵尊 地蔵坂」って彫られた石柱が残ってんで。 

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