大村益次郎碑
 

大阪国立病院の南東角にめっちゃデカイ石碑があるねんけど、それが「大村益次郎殉難碑」。
そもそも大村益次郎って言うたら周防国(現在の山口県)の生まれで、地元医学を学んでから大坂へ来てん。大阪では緒方洪庵の開いた適塾で蘭学・医学・兵法などを学んでてん。
その後、伊予宇和島藩に招かれて、蒸気船や砲台の製造に従事してたら桂小五郎に見出され、長州藩に仕えることになるねん。長州藩の軍事指導者になって軍隊の近代化に努めて、長州征討や戊辰戦争で大活躍するねん。そやけど攘夷派の浪士に襲われて重傷を負ってしもてん。その傷の治療を浪華仮病院でやるねんけど間に合わず、1869年に45年の生涯を閉じてん。そして彼の武士を廃してし近代軍隊の建設に努めた偉業を讃えて、建てられたんが「大村益次郎殉難碑」やねん。

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