玉造稲荷神社
 
[住所]〒540−0004 大阪市中央区玉造2丁目3番8
[ TEL]06-6941-3821
[ URL] http://www.inarijinja.or.jp/
 
大阪城から南に緩やかな坂を下っていったところにあるのが玉造稲荷神社。
紀元前に創起されたから、江戸時代には「もといなり」って言われて地域の人々に
めっちゃ信仰されててん。元々、お稲荷さんは農耕の神様として信仰されててんけど、
だんだん除災招福の神様として、もてはやされるようになってきてん。
玉造稲荷神社は大坂城の守護神として、豊臣家に厚く崇敬されててん。
だから、慶長8年(1603年)に秀頼により奉納された石製の鳥居が現在も境内に残ってんねんで。
秀吉、淀君、秀頼らは玉造稲荷神社の境内で、千利休のお手前による茶会を楽しんだらしいねん。
そやから、今もその当時にちなんだ茶会が年に一度催されてんねん。
森鴎外の「護持院原(ごじいんがはら)の敵討」の作品中にも玉造稲荷神社は登場してんねんで。
「どこの誰(たれ)の親の病気が直ったとか、どこの誰は迷子の居所を知らせて貰ったとか、若い者共が評判し合っていた」
「稲荷(いなり)の社(やしろ)の前に来て見れば、大勢の人が出入(でいり)している。
数えられぬ程多く立ててある、赤い鳥居が重なり合っていて、群集はその赤い洞(ほら)の中で蠢(うごめ)いているのである」
ってかいてあるわ。ほんで現在も変わらず、ぎょうさんの人がご利益を願ってここを訪れてるねん。

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